今の気持ちを書いとく

 博士過程に行きます、と宣言したものの、僕の一つ上、一つ下の学年の人たちが就活モードに入りつつある今、おのずと情報が入ってくるので、無関心ではいられない。僕は来年の今頃、どんな決意で将来に臨んでいるんだろう。進学するのかどうか。やっとこさこの夏に進学を決めたのに、1年で次の事考えろなんて、忙しいよなぁ。


 残念なことに、ネット上では、「博士は絶対に行くな」というのが共通認識だ。「博士→ポスドク」のルートが定番の生物系では特にそう。ポスドク問題に関してはかなり情報を集めたつもりだけど、どこを読んでも、悲観的な現実を並べて、「自己責任」の4字で締めくくる、というパターン。では、ネットから離れて、学校での実際の雰囲気はどうかというと、こちらもかなり悲観的。「悲観的」というのが僕の主観だとしても、明るい将来ではないことは確実だ。とにかく、将来がない、時間がない、金がない、の3拍子。「俺なんて一生追いつけそうにねぇ」レベルに物凄い業績を持っている人でも任期無しの研究職にありつけてないのとか見ると絶望的になるし、後輩に進学を勧める先輩がほとんどいないという現実も異常すぎる。


 「好きなことを仕事にするのだから厳しくて当たり前だ」という意見もある。実際、ポスドクの人達の中には、「好きなことでメシが食えてるし」と言って、楽しそうにやっている人もいる。こう思えたらいいなぁ、と素直にうらやましい。だけど、研究者っつってもずっと好きなことやってりゃ良いわけじゃない。人間臭い付き合いもあるし、研究費が途切れないように結果を出し続けないといけない。他の仕事と同じように辛いことだらけに決まっている。それでいて、同世代で普通に就職した人よりも不安定な暮らしを強いられる。
 

 そこで、僕は思う。「『好きなことでメシ食ってるし』ってのは、後付けの理由じゃないですよね?」と。どうも、「『好きなことでメシ食ってるし』と必死に思い込まないとやっていけない」というのが往々にして現実なのじゃないか、というのが最近の僕の見方だ。もちろん、実際はどうか分からない。本当に心の底から研究が楽しい人もいるのだとは思う。こんなこと先輩に聞けるわけないので、永久に分からないだろう。ただ、一つ、現時点で確信しているのは、「僕はそこまで今の研究が好きになれないだろう」ということだ。そもそも、僕がプランクトンというテーマを選んだのは、「ミジンコやアメーバが可愛くてしょうがない!」みたいな純粋な動機からではなくて、「プランクトンの生態を勉強すれば、水中の全生態系を体系的に理解できて、炭素循環や環境問題にも手を出せる」「船にも乗れるし、DNAもできるし、培養実験もできる」「研究室の学生が少ないので好き放題できそう」という不純な動機からだ。言ってしまえば、「体系的に物事を理解し、自分で考えた様々な実験から問題を解決する」という性格のものであれば、どんなテーマでも良かった。そして、実際今、全てが計算どおりに動いている。ひたすら知識を吸収し、船に乗って採ったサンプルに対し、好きな実験を計画し、好きな方法で問題にアプローチする。これがたまらなく楽しい。全てが順調だ。不満は無い。でも、やっぱり、そこで感じるのが、「虫大好き!!」みたいな他の学生との溝。やっぱり僕は、「ミジンコ可愛い!!」ではない。僕は問題が解決できれば何でも良いのだと思う。


 そう考えると、僕には茨の道を乗り越えてプランクトンの研究者を目指す理由は無いことに気付く。ちょっと前までは、「学問の崇高さ、清潔さ」みたいなのに惹かれていて、感覚が麻痺していたのだけど、「大人の世界はどこにいってもドロドロなのだ」ということを実感するようになった最近は、こういうことを冷静に考えてしまう。ひとたび憧れを取り除いて冷静に考えてみれば、少子化真っ只中の日本の大学なんて、それこそ斜陽産業で、エネルギー革命の時の炭鉱みたいなもんだ。「世間の流れとして、どう頑張っても滅ぶことが必然なんだけど、中の人間はそれに気付かず必死に生き残ろうとしている。」そんなイメージ。だから、「よほどの執着が無い限り、そこに身を置くことで確実に不利益を被る」という「救いようの無い構造」がもう出来上がっているのだと思う。


 僕は一体どうするか。現時点では結論は出ない。だが、1年後には確実に結論を出さなければならない。それまでに、狂おしいほどの苦悩が訪れることは確実だ。そしてそのとき、進学を決意するにしろ、就職を決意するにしろ、ものすごくポジティブな理由を伴ってその時を迎えたいと思う。絶対に避けなければならないのは「何も行動を起こさない→自動的に進学」というコースだ。とにかく、些細な情報で簡単に気持ちが揺れるような今の状況では、とても決断など下せない。


 一つ、現時点で最も本心に近いと思われる意見を言えば、「ポスドクには行きたくないが、一通り学問を究めて、博士号はとっておきたい」というのがある。もし、来年就職活動を開始してしまうとなると、しっかりと研究に割ける時間は残り1年しかないことになる。これでは、今、5カ年計画で積み上げている知識を活かしきる前に研究が終わってしまう。僕の中ではそれなりに研究のストーリーはできているので、ひとまず5年間本気でやって、それを完成させたい。そしてその後、究めた専門知識なり、5年間で身につけた思考法や語学力なりを必要としてくれる場所を見つけて、働きたい。問題は、5年後、博士に優しい世の中になっているかどうか、ということだ。博士の就職問題も少しずつ取り上げられるようになってきているけど、果たして5年後にそれがどうなっているか。僕は世の中が「アメリカ的効率化社会」に向かいつつある気がしているので、数年後にはアメリカのように博士号が認められる社会になっていると信じたい。。。まー、そんなこと言う前に、まずは博士課程で奨学金もらえるかどうかなんですけどね。