気合入ってきた

内定先の会社に関して、二点だけ、残念なことがある。
 一点目は、基本的に年功序列で終身雇用の日本的システムが健在であるということ。日本に存在している多くの理不尽は年功序列と終身雇用によって生み出されていると僕は思っている。なぜなら、将来が保障されることで目的意識や向上心が失われてしまい、しかもそうやって目的意識の無いまま昇進した人間は往々にして自分の立場を護るための政治的闘争に生きがいを見出してしまうからだ。要するに、年功序列と終身雇用によって、組織全体がぬるま湯に漬かり、向くべき方向を見失って、存在するために存在している状態、いわば茶番と化してしまう危険性があるということだ。
 これらの問題は「この先何年もこの会社にいるだろう」という前提無しには起こりえない。いつ首を切られるか分からなければ、皆スキルを付けるべく目的を持って生きるようになるだろうし、くだらない政治的闘争を繰り広げて共倒れする前に生産的な議論を始めるだろうからだ。
 なぜこのような非合理な制度が未だに存在しているのだろうか。実はこのこと自体が、年功序列と終身雇用の弊害なのだと思う。終身雇用を護るのは終身雇用でしかないからだ。要は、先輩にいじめられた後輩がその後輩をまたいじめるような感じになっているということだ。だから、どこかで全世代一斉にそれを止めない限り、その連鎖を止めることはできない。そして今日も日本中で膨大な労働力が茶番に費やされる。
 体力的に衰えた老人は若者と取り替えられるべきだし、新しい知識が必要な場では、古い知識しか持っていない人間は不要だ。そういう新陳代謝が、きちんと回っている場所で僕は働きたい。もちろん、今僕が会社に入ったって上司は全員神みたいなもんだし、僕は同期と交換可能な存在でしかないだろう。だけどそこから数年経ったとき、やっぱり上司は神だと思えるだろうか?僕は向上心を持ってユニークな存在として活躍できているだろうか?社会人としての市場価値を身につけているだろうか?これは常に自分に問いかけ続けるべきことだと思う。僕は絶対に保障に甘んじない。


 残念な二点目は、仕事のグローバル度が予想以上に低かったということ。仕事で英語を使う機会はあまり無いらしい。今後日本は放っておいてもグローバル化する。街には外国人が溢れ、日本人が日常的に海外に出張に行く日が、僕が生きている間に必ず来る。クリエイティブな仕事は全て国際標準化されて、「英語も喋れる」から「日本語も喋れる」ことがステータスになる日が必ず来る。そのような時代を前にして、世界的な仕事が少ないというのはとても残念なことだ。
 ただ、ポジティブに見れば、これは「仕事をあえて国内に集中させている」ということもできるだろう。グローバルな仕事をすればするほど、仕事における国内案件の割合は薄まってしまう。そうなってくると、「国内ばかりやっているからこそ見えてくるもの」もあるような気もする。それは、外資系の会社では得られない視点であるのかもしれない。
 ただやはり、比較対象として、海外の仕事をやるというのは、必ず必要だと思う。まぁこの辺りは入社しないと分からないのだけれど、利用可能な機会を全てモノにすれば、それなりにグローバルなことができるのではないかと思っている。海外出張とか海外留学とかのチャンスがあれば、積極的に応募したい。


 進路が決まって約3週間。ようやく「自覚と覚悟」が出てきた感じ。外資にすれば良かったかもと思うことはたまにある。一方で、後悔しない自信もある。なんたって感情が肯定してくれているからね。それに、僕は後から理由をくっつけて自分を肯定するのはとても得意だ。心配ない。