1年もあれば色々ある


Český Krumlovの城下町

 あっという間に年が明けた。毎年のように年越しの時期になると「色々あって長い1年だった」という感想を持つのだけど、良く考えてみれば一生80年として「1年」は一度きりの人生の1/80もあるわけでそれは色々無いとおかしくて、「色々あった」という感想を持つこと自体が一体「何と比べて」色々あったのか実は説明ができてなくて、「1年もあればそりゃ色々あるだろ」という感想のほうが普通なんじゃないかと思うようになってきている。しかしそれにしても、あらかじめ分かっていたことだけど、2017年は本当に色々なことがあった。
 まず、結婚した。修士を出て会社員を始めた6年前の時点では「自分は結婚するのかしないのか」という疑問からスタートしないといけないレベルだったのだけど、時間をかけて色々考えた結果「結婚すべき」という結論が自分なりに納得できる形で得られて、そこから「どうせいつか結婚するのなら早くしたい」という意見に到達して実際の行動に移るまではあっという間で、運よく気が合って一生一緒にいられそうな人に出会うことができたので結婚することにした。なんだかんだで10年以上も独り暮らしをし、独身貴族として趣味に散財した会社員時代も経て、幸運にも自分には独り身の生活を十分に満喫した自信があったので、それを失うことにはあまり悲しみはなかったし、これからは家族との時間を大事にしたいと思っている。その一方で「もはや自分一人の人生ではない」ということにとてつもないプレッシャーと恐怖を感じるようにもなった。遠距離だった妻は仕事を辞めて自分についてきてくれる選択をしたのだけど、僕は社会保険も福利厚生も無く、年収240万円の学振特別研究員だ。当然毎月赤字で、日々2人の貯金を切り崩して生活している。自分一人なら「日本にいれば死ぬことはないだろう」くらいのレベルの危機感で、ボロアパートで毎食お茶漬けみたいな生活をしていても幸せに研究ができるだろう(そもそも学振DCがそのような人達を前提にしているとしか思えない待遇だ)。だけど今の僕はそういうわけにはいかない。家庭があって、年齢相応に文化的な生活をし、年齢相応に人間関係にお金を使わないといけない。だから、赤字を垂れ流しながら、博士課程が終わるまでひたすら耐えている。
 幸いにもこの3月に予定通り3年で博士号を取得し、4月からは学振PDとして別の研究機関に勤めることが内定している。学振PDの年収は434万円だから、日本の同年代の平均くらいはあるのではないか思う。僕は基礎研究に向けられる「儲からないことを好きでやってるんだから給料低くても我慢しろ」という視線は今の時代もう仕方のないことだと思っていて、いずれ儲からない基礎研究に税金を出す余裕すら一切なくなるだろうし、今もらえているだけ有難いと思っている。学振DCの年収240万円はまともに生きていけない給料で、これで副業禁止なのは本当に狂っていると思ってるけど、学振PDの434万円には文句を言う筋合いはない(もっと金が欲しいなら儲かる研究をすればいい)。だけど依然として副業禁止で社会保険も福利厚生も一切なく、国民年金・健康保険は全額負担、労災も無いので自腹で傷害保険に入らないと受入研究機関で仕事をさせてもらえない。さらに必須要件となっているラボの異動に伴う引っ越しも全額自腹だ。少なくとも人材を引き留めようという意思が全くない待遇であることだけは明らかだ。この先、多額の借金(奨学金)の返済もあるなかで、おそらく共働きでないと満足に暮らしていけないだろうし、家族には何かと迷惑をかけることになる。高給会社員時代に知り合ったのに、ここまでついてきてくれている妻には本当に申し訳なく思っている。もう自分一人の人生で無いのだから、全てを捨てて研究に打ち込むような覚悟を持つことは、憧れるが、許されない。これからますます「生活のためならいつでも辞める」という気概とプライドを強く持って、ただ淡々と、自分の好奇心を満たし人類の知の拡大に貢献するためにやるべき研究を続けていきたい。
 色々なことがあったと言えばもう一つ、この夏は2か月半ほど海外に住んでいた。「いつか海外に住んでみたい」という思いはずっとあって、かといって人生の1年とか2年をいきなり海外生活につぎ込む時間的余裕や覚悟もなかったので、良いタイミングで渡航の助成を得ることができ、海外生活が経験できたと思う。何より新婚旅行を兼ねた滞在(妻の費用はもちろん自腹)で毎週末とても楽しかったし、肝心の仕事でも「自分の研究がどれくらい海外で通用するか」という感覚がつかめて、自信が得られたこともあれば、未熟さを感じたこともでき、想像していた以上に短期間で濃い経験ができた。
 仕事に関してはこの1年、総じて言えば、これまでになく前向きな感触が得られた。去年の今頃はまだ成果が少なくて、「本当に自分に実力はあるのか、もしかして自分はやる気があるだけで実力が無い奴なんじゃないか」という不安が常にあった。だけどこの1年で自分の研究分野でトップレベルの雑誌に論文を出すことができて、自分の論文作成能力が偶然ではないことが確認できたし、水面下で進めている研究でも次々と蒔いていた種が発芽して良い結果が出はじめていて、今年は論文が量産できそうな気配がある。まだまだ業績は一人前と言えるものではなく、ここから先も手を抜くと一瞬で死が待っているけど、このまま着実にやるべきことを積み重ねていけば、それなりに花開く研究はできるはずで、そこからさらに不確実な要素によって物凄い成果に化ける可能性もあるという自信を持てるくらいにはなってきた。過去の自分の記事を読むと「毎日研究が楽しくて死にたくない」とか「人生を賭けて生きることが楽しい」ということにいちいち感動をしている時期もあったけど、今やその感触自体が当たり前のものになっていて、むしろ「あり余る可能性のどれを捨てるか」という取捨選択に命を削る日々になってきていて楽しい。本当に研究に戻ってきて良かったと思う。
 ただその裏で、取捨選択を強いられるあまり、新しいことに対する貪欲さや興味が薄れてしまっている自分の姿に気が付くことも出てきはじめた。歳を取って経験値が溜まってくると、「自分にとって無駄なモノ」を判別して切り捨てるのが容易になってくる。自分自身が触れる情報量や選べる選択肢がそもそも増えたこともあるけど、見聞きする情報のうち「切り捨てる情報」の割合がかなり高くなったように感じていて、以前より不要なものに時間をとられず効率的な取捨選択ができるようになった一方で、以前よりも多くのものが「自分には関係の無い(関わりたくない)もの」として認識されるようになってしまった。この延長線上に老害と呼ばれる状態があるのだろうなぁということを認識しつつも、今はとにかく自分のやるべきことに集中するために余計なものを切り捨てるのに精いっぱいなので、当面はこういう傾向の自分を受け入れることになるのだと思う。一昨年の年末の記事で、「カードを引くフェーズからカードを切って上がるフェーズに」ということを書いたけど、まさに自分の持っている可能性を「広げる事」より「伸ばしていく」ことに注力しなければならない段階にあると感じる。
 さて、今年の目標。「●●をやる」という目標は、自分自身でやるべきことがはっきりしていてそれに同意できている今の状況で改めて目標として言い聞かせるまでもなくやることなので、もう一段メタに立って、自分が忘れてしまいがちなことを忘れないことを目標にしたい。それは「攻めの姿勢を忘れない」ということだ。この1年で、家庭ができて、研究成果が積みあがってきて、「失うもの」が増えてきたことに重圧と恐怖を感じるようになってきていて、「人生どこまで攻めて、どこから守るべきか」というバランスが益々難しくなってきていると感じる。一方で、自分なりにこれまで社会の様々な場所で経験してきたことから感じるのは、この社会(この国)のシステムは「守りに入った人」に有利にできていて、あらゆる場面で「攻めから守りに入らせるような誘惑」を仕掛けてくるということだ。来年は今以上に研究者としての業績が溜まるだろうし、もし家族が増えるようなことがあれば、ますます「守りへの誘惑」が増えて、何も考えずにこのまま放っておくと僕はどんどん守る方向に進んでしまうだろう。もちろん、もう自分一人の人生ではないので無茶はできない。いよいよ今年から30代になってしまうし、家族にはどこかで定職に就き定住してほしいと言われていて、僕も「食えなくなるくらいなら研究を辞めてでも安定した職業に就く」ということを約束している。いずれ守りが主体の人生になってこないといけないだろう。ただその前に、攻められるうちに、「守りに入ると攻められなくなるところ」をきちんと攻めて、築けるものはしっかりと築いておきたい。だから「守りへの誘惑」に対しては、新卒採用で突然与えられる正社員の身分を疑いなく全面的に受け入れるようなことはしたくなくて、守るべき場所と攻めるべき場所を自分自身でじっくりと吟味して少しずつ体制をつくりあげていきたい。これから学振PDが切れるまでの3年間が、人生で最も自由度が高く主体的に研究ができる期間になるはずだ。与えられた絶好のチャンス、そのことを常に自覚して、成功しても失敗しても、やり残したことだけは作らないように、考え続け、行動し続けていきたい。

Mont Saint-Michelから望むイギリス海峡

短いようで長い人生


@角島大橋

 会社を辞めて2年が経った。まだたったの2年しか経っていないのか、という感想だ。本当に色んな事があって、長い2年だった。まだ2017年が3ヵ月しか経っていないことにすら驚きだ。そして、博士課程を卒業するまでにはこれからもう1年。不確定要素だらけで、1年どころか半年先や2か月先がどうなっているかも見えない日々が続く。これまで以上に濃くて長い1年になると思う。
 僕は、どんなことも3年くらいやれば、ゼロから始めてもそれなりに要領がつかめるものだと思っている。実際に、今やっている仕事のほとんどが2年以内に新しく始めた仕事だけど、それでちゃんと論文がかけているし、このペースでもう1年もあれば自信を持って研究者と名乗れるだけの実力は身に付くのでないかと思う。前の会社だって、全くの知識ゼロから始めて3年しかいなかったけど、辞めるころにはなんとなく仕事の全体像が見えるようになってきていた(それで合わないと思ったから辞めたのだけど)。もちろん、20年、30年と同じ仕事をやり続けないと到達できない境地というのは必ずあるし、そのような人たちにとっては「たった3年でなにが分かるって?」って感じだろう。だけど飽きっぽい僕にはそれができない。僕がそういう境地にありつけることは一生ないだろう。でも、30年で3年ずつ、10個の新しい仕事をやり続けるのだって、面白い人生だと思う。そこまで極端で無くても、ちょっと前に話題になった「40歳定年」みたいな考え方は僕は賛同する。これまでと全く違うことを、40歳とか50歳とかから始めたっていい。新しいことを始めるのは最初は苦しいけど、今の僕が「長すぎる」と思っているのと同じ密度と長さの3年がそこにあるはずだ。そんな3年を過ごしていれば、どんなことでも人並みにはできるようになってくると思う。だから、人生で一つの仕事を続けなければいけないと考える理由はない。むしろ短い人生を少しでも長く感じられるようにるすため、こだわりを持たず、常に色んな可能性を考え、色んな事に興味を持って生きたいと思う。60歳まで現役だとしても、僕にはまだ3年×10回もある。人生は短いようで長い。

絶対に死にたくない


おすすめです@京都鉄道博物館

目まぐるしく状況が変わる。今、本当に面白いことになってきていて、本当に死ぬのが嫌だ。人から見ればくだらないことかもしれない。だけど僕は今、未来を想像するだけでワクワクしすぎて心拍数が上がってしまって、寝れなくなるくらい、ドキドキしている。絶対に無事に未来を迎えたいから、車の運転もものすごく気を付けるようになった。僕は常に最悪を想像し、虚無な世界観で生きてきたから、いつミサイルが落ちてきて戦争が始まっても、いつ新型の伝染病で人類が滅亡の危機に追いやられても、いつ大災害が生活を滅茶苦茶にしてきても、平常心を保てる自信があったし、それだけ「今」を生きている自信があった。ネガティブではなく、ポジティブな意味で、本当にいつ死んでもいいと思っていた。だけど、今は本当に死にたくない。未来が見たい。未来のために今を生きたい。車に轢かれるのが怖いし、ミサイルを撃ち込んでくるのも、頼むから、もう少し待ってほしい。無事に今日を生きられるかどうか、毎日が不安で苦しい。

神頼みと綱渡りの日々


静かな朝日@樫野崎

「命懸けで仕事をしたい、冒険がしたい」といって会社を辞めて2年が経とうとしている。博士課程最後で20代最後となるこの1年、人生で最も命懸けで冒険の1年になりそうだ。次々と重い決断を迫られ、状況がどんどん変わって、未来の自分がどこでどんな気分で何をしているのか全然わからない日々。先週突然、この夏海外に長期滞在できることが決まった。知らない世界に勝手に一人で乗り込んで周りを巻き込んで研究する。誰も何も保証してくれない。全て自分次第。そんなことできるのか。いったいそこでどんな生活が待っているのか。どんな人とどんな風に働くことになるのか。想像もつかない。その後身分が保証されているのは来年の3月までで、その先は白紙。こんなに将来のことが読めないのは生まれて初めてだ。
 怖いのは不確実さだけではない。プレッシャーもこれまで経験したことがないレベルで感じている。研究の下地が固まった今、実りある30代を迎えるべく、とにかく種を撒きまくっている。自分を過大評価して、公私問わず、負債を厭わず、お金よりもタイミングを優先して、周りを巻き込みまくって、どんどん先行投資している。当然、リスクや責任も膨れ上がっていく。前倒しで色んなものに手を付けまくって色んなものが始まってしまったけど、果たして本当にクロージングできるのだろうか?失敗したらどうするのか?心の底では本当に自信が無い。だけど何もやらないわけにはいかない。だから表向きには自信満々に、大きな決断をどんどん下している。
 願った通りの、命懸けで、冒険の人生だ。いつも全力で生きているから後悔はない。日々下した決断で人生が変わるから夢中になれる。何が起こるか読めなくて楽しみだから、明日も、来月も、来年も生きていたいと思える。でもこれがいつまで破綻せずに続くのか。自信が無い。
 研究者や自営業の先輩方から見たらアホみたいな当たり前の話かもしれない。だけど、安定した大船に乗る人生ばかり歩んできた自分にとって、これからの1年は、いよいよ湾外に飛び出し、外洋の荒波に揉まれ、そこで生き抜くことができるのかどうかが試される年になるのだと思う。来年の今頃の僕が、これをほほえましく読んでいることは間違いない。だけど、どのような意味でほほえましいかは、全く想像がつかない。

人生が終わっていく


水平線に浮かぶ竹生島


 気づけば年末になっている。昨年の年末に「来年は少なくとも3本論文を出す」というようなことを言っていたけど、結局今年出版されたのは1本だけ。2本目は先月ようやく投稿して、3本目はまだデータがそろってすらない。論文を書くという行為は、想像していたよりもはるかに大変だった。前例を漏れなく調べ上げ、厳密かつ客観的な議論に基づきながらも魅力的なストーリを仕立てて、新しい価値を付け加えなければならない。そんなに楽なわけがなかった。その一方で、こういうレベルの、厳密で真剣な仕事ができる場所に戻ってこれて良かった、と改めて感じている。会社を辞めて時間が経った今でも、あの

顧客の期待値スレスレを攻め続け、質よりも量をこなすことが良しとされる環境

が自分に向いていなかったという気持ちは変わらないし、今ますますその思いを強くしている。
 だけどそうやって、会社を辞めた自分の選択が良かったと思えば思うほど、増してくる感情がある。「会社員として過ごした自分の3年間って無駄だったのかも」という気持ちだ。もちろん、これは結果論での話だ。ここで何度も書いているように、僕はもう一度人生をやり直すとしても、修士を出た段階で研究の外の世界を見てみたくなって、就職活動をして、一度会社員として生きる選択肢を選ぶだろう。それで実際に目的通り「研究の外の世界は自分に向いていない」ということを身をもって確認でき、自信をもって研究に戻ってこれたのだから、そこには後悔はないし、こうする以外に自分が納得できる方法が無かったのは間違いない。
 でも、それにしてもあまりにも、僕の仕事や生き方に対する意識は、会社で過ごした3年間を通じて変化していない。僕が会社に入ってすぐに不満に思った点と、会社を辞める時に我慢が出来なかった点と、今自分が研究に対して満足している点は、一貫していて、変わっていない。
果たして僕は3年も使って、会社員生活で何を得たのだろうか?今改めて真剣に考えると、答えが見つからない。そして、冗談抜きで、

都心に住んで、お金をたくさん稼いで、休日に金を使いまくる、という過ごし方を経験できたこと

が自分が3年間で得た、一番価値がある事だったのだと思う。テレビでしか見たことが無かった東京のど真ん中の地名が当たり前のように日常に登場し、今思えばとんでもなく高いレストランや居酒屋で当たり前のように飲み食いしていた。都心で車を持って、毎週のように高速に乗って郊外に遊びに行っていた。東京から日帰りで行ける観光地で行っていない場所はもうないのではないかというくらい遊びつくした。今後二度と味わうことのできないであろう、自分ごときにはどう考えてもオーバースペックで贅沢すぎる生活だった。これを3年間も経験できたことは、僕の視野を広げて、人生をとても豊かにしてくれた。そして「足るを知れた」ことで、「自分はどれくらいの欲を持つのがふさわしいか」という、自分の中で死ぬまで使える価値基準を得ることができた。
 けど、それって20代の貴重な3年間を使って得るべき経験だったか?残念ながら、答えはNOだと思う。僕が会社員として過ごした3年間は、毎日目の前にある仕事をやっつけて、休日を楽しみに生きる、消化するだけの毎日だった。作業的に生きていて、本当にいつ死んでもいいと思っていた。今の僕は、休日も暇があれば研究を進めたいと思うし、毎日が目標に向かっていくための濃密な日々で、未来を生きるのが楽しみで、死にたくないと思う。もし、会社で消化した3年間、今と同じ密度の毎日を過ごせていたとしたら?3年あれば出せたはずの成果の機会損失は莫大だ。
 日に日に、同年代や自分より若い世代の研究者が、自分よりも成果を出し、活躍するのが目につくようになっている。それは、僕が東京で人生を浪費している間に、彼らが積み上げた成果だ。それを見て、「20代の貴重な3年間、勿体ない使い方をしてしまった」という思いを強くし、悔しい気持ちになってしまう。しかし、悔やんでもしょうがない。経験は勝手に活きるものではなく、自分で活かさなければならない。社会がどのくらいの厳密さで回っているのかという感覚や、相手の求めるものを想像しながら人間関係を作っていくノウハウ、お金と時間を上手く使って仕事を効率よく回すスキルといった、社会人経験を通じて学んだことをうまく活かして差別化ポイントにしていかなければならない。それをきっかけにして、3年間のロスを取り返すチャンスをうかがっていかなければならない。


 この1年の自分の中の大きな意識変化の一つに、「積み上げる人生観」から「取り崩す人生観」に変わってきた、というのがある。20代も最後の1年にさしかかり、人生の残り時間を意識して生きるようになった。「できるだけ多く経験し、たくさん勉強するのが良い」という歳は、もう終わった。一人の人間が人生で実現できることは限られている。そしてそれは30代にはある程度実現しているようなものであるはずだ。もうそろそろ、手持ちのカードを増やすのではなく、手持ちのカードをいかに切って上がるかを考えないと、死ぬのに間に合わない。自分にまだ無限の可能性が思ったら大間違いで、実はすでに20代後半というのは、

現時点で自分が持っている可能性で今後の人生を勝負していかなければならない

という世代に差し掛かってきているのだと思う。
 時間を足し算でなく、引き算で意識するようになり、日々の命懸け度がますます高まっている。1分1秒がカウントダウンである、ということを、日常レベルで感じながら生きることができている。もっと早く気が付けばよかったけど、今気づいてよかったとも思う。
 来年の目標を立てようと思ったけど、目標があっても無くても全力でやれる自信があるので、とにかく命懸けで頑張ることだけ、ここで宣言しておきたい。

生意気の前提化


満月@瀬田川

 僕は生意気な若者にやさしい。生意気な若者が好きだ。応援したくなる。それは、自分自身も生意気であったからだ。大したことないことを大したことのように取り上げることで自分の存在価値を確認しようとする、あの生意気な感じだ。考えるだに、あの若々しい生意気さは、悔しいしダサい。でも、今タイムマシンで過去の自分に戻れたとしても、僕はやっぱり生意気に振る舞うことしかできないだろう。あの時点の自分は、あの時点でできることを精一杯やっていて、あれ以上うまくやることなんてできそうになかったからだ。それは過去だけの話ではない。今の自分だってそうだ。今、過去の自分を振り返って「ああ大したことないことにこだわって生意気だったなぁ」と思っている自分自身、常に数か月後の自分自身に「ああ生意気だったなぁ」と思われている。今の自分にとって大したことでも、時間が経って慣れてくると、大したことなくなっていくのは、まぁ当たりまえのことだ。だからいつまで経っても、僕は将来の自分から見ると生意気な人間のままということになる。そういうどうしようもない経験を繰り返して学んだのは「だったら意識的に生意気になろう」という逆転の発想だ。「必死にやっているつもりが後から見れば生意気だった」というのは悔しいしダサい。だったら「将来の自分から見れば今の自分が生意気なのは分かってる、でもやるんすよ」という前提化メソッドでメタに立つことでプライドが傷つくのを防ぐと同時に、根拠の無い全能感を躊躇なく引き出して機動力を高めるほうが、健康的に自分の可能性を最大化できるのではないだろうか。ああ、なんて生意気なことを言っているのだろう。

結局僕は報われたい


お花畑@カナダ

 会社を辞めて博士課程に戻ってから1年半が経とうとしている。そろそろ「元会社員」というアイデンティティも薄れてきて、単なる一人の博士課程の学生としての実感のほうが大きくなってきた感じがある。これまでの僕は何かと「会社員時代の自分」の「今の自分」を比較し、「会社を辞めてどうだったか」ということばかり考えてきた。それだけ、会社を辞めるというのが悩み抜いた末の選択だったから、考え事も多かったということだ。最近になってようやくそれが気にならなくなってきた。良くも悪くも、会社を辞めた直後の生意気さが薄れてきた。そしてそれと同時に、アカデミアの中での自分の未熟さを痛感するようになった。
 学会のトップを走る研究者達は思った以上に途方もないレベルで戦っている。それに比べると僕なんて本当に何の実績もない末端のゴミくずだ。(それが実感できただけでも、僕は研究に戻ってきてすごくよかったと思う。やっぱり世の中は僕が思っていたほどショボいわけがなかったことに、安心した。尊敬すべき人間がこの世にはたくさんいる。)だから今の僕がやるべきことは、とにかく研究で実績を上げて、ゴミくずを脱却し、天空で戦っているトップ研究者たちに仲間入りすることだ。それは本当に、思っていたよりもはるかに、とてつもなく大変なことだ。それをやるのに、会社員だったかどうかは関係ない。だからもう僕は、会社員を辞めて研究に戻ってきたこと自体に価値を感じようとしなくなった。
 そしてそう思うようになったことで、僕はフラットに「自分は何をやりたいんだろう?」ということを考えられるようになってきた。「会社に比べて研究がどうだ」という話ではなく「そもそもなぜ僕は研究がやりたいのか」という話。僕は性格的に研究者に向いていることは間違いないのだけど、今の研究テーマに特段こだわりがあるわけではなく(そもそも一生同じネタで研究できる幸運を期待すべきでない)、全く別のテーマに取り組むとしても、研究者という仕事を僕は楽しめそうな気がする。でも、それがなぜなのか、きちんと説明できないでいた。
 で、色々と考えたのだけど、あらゆる考えを集約した結果、結局僕が求めているのは、

どれだけ頑張っても損をしない環境

なのだと思うに至った。研究者という職業は「論文」という極めて属人的で客観的な指標によって、そのパフォーマンスを評価される。やればやるだけ成果が出るし、どれだけやっても「やりすぎだ」とは言われない。好きなだけとことんやればいい。この「頑張りが全て論文として形になる」という単純システムが、僕が研究者という職業にあこがれを感じる理由になっているのだと思う。僕は、研究者の論文業績リストを眺めるのが大好きだ。声の大きさや政治力にモノを言わせるだけでは達成しえない、その人が本当に人生を賭けて成し遂げてきた仕事が、静かにリスト化されている。本当に美しい。
 僕はこれまでにも散々「命懸けで働きたい」ということを書いてきたように、常に自分の出せる実力の上限で働きたいし、そのパフォーマンスで評価をされたいと思っている。以前働いていた会社は、はっきり言うと(違うという人もいるかもしれないが少なくとも僕はそう感じた)、率先して一生懸命仕事をすると損をする仕組みになっていた。「いかにこだわるか」でなく「いかに手を抜くか」を考えることが推奨されているのでは思うことすらあった。様々な愚痴はあるけれど、結局僕が耐えられなかったのはそこに集約されるのかもしれない。もちろんそれに耐えて戦い続けて、会社の力を利用して大きな功績を上げる人間もいた。だけど僕は、そんな苦労をするのなら、一人でもいいからすぐに結果がでる世界で働きたいと思った。「一生懸命やっても大丈夫」という環境で心置きなく自分の本気を出して、それで褒められたり、ボコボコにされたりしたかった。逆に言えば、その条件さえ達成できていれば、僕の選択は必ずしも研究者でなくてもいいのではと思う。
 僕の論文業績リストはまだスカスカだ。今こんなに頑張っているのに、トップ研究者からみればゴミ以下の業績しかない。そして一生懸命アウトプットを出すことでしか、ゴミを脱却する方法はない。この論文リストを拡充していく人生。とてもかっこいい。