フォトリーディングしてみろや ↓
速読術がどうのこうの、って本が良く出てる。「フォトリーディング」なる、開運グッズなみに胡散臭い手法もなんか流行ってる。さらっと立ち読みした感想だけど、あれって「背景知識がある本」にしか使えない思う。要するに、速読術を語ってる人達は分野外の専門書でもスラスラ読めるのか、って話。
読書は、目と脳の競争だ。本を読んでいるときは、目で文字を追う速さと、脳で内容を理解する速さが、常に戦っている。読む本が、自分が背景知識を持っている内容の場合なら、脳の処理速度は目の早さに十分追いつくことができる。このとき、読書速度は、文字を目で追う速さによって決定していることになる。この場合、文字を素早く目で追う訓練をすれば、目の速さが脳の速さと均等になるまで読書速度を上げることができる。ここまでの話が、「読書術」の本で紹介している内容なのだろう。
一方で、専門外の本を読む場合、目で読み取った文字が、脳で理解される手前で渋滞を起こす、ということが起こる。新しく理解することがたくさんありすぎて、脳が処理し切れていないという状況だ。これだと、いくら文字を早く追うことができても、読書速度は上がらない。この場合、読書スピードを上げるためには、脳の基本スペックを上げる必要がある。ところが、脳の基本スペックを上げるすべは、「速読本」には書かれていない。というか、脳の基本スペックはそう簡単に上げられるものではないと思う。
僕の話をすれば、例えば、僕は自分の研究内容とぴったりの内容の論文なら今は相当早く読める。「どういう実験が必要か」という背景知識があるので、実験内容の項目を読み飛ばすことができるからだ。さらに、「その実験から何が分かるか」ということが分かっているので、数ある実験結果の中から自分が欲しい情報を簡単に検索できる。だけど、これが未知の分野の論文だとそうはいかない。実験の意味を理解するのにも時間がかかるし、何が重要な情報か分からないので、とりあえず全部目を通さなければならない。
要するに、脳のスペックによって、一定の時間で処理できる情報の量は決まっていて、そこは変えようがないということだ。速読術が役立たずとは言わないけど、役に立つのは、既知の情報の山の中から、新しい情報をつまみ出すような本の読み方をする場合に限る。だけどどうも、速読本には、「速読術を身につければ、膨大な情報を一瞬で暗記できる」みたいな雰囲気のが多い。「こんなの信じて頑張っちゃう人は脳のスペックを先に鍛えようね」という、手の込んだ皮肉だったらおもしろい。