修士一人で論文書くとか無理

 論文書き。滋賀で3年やってきたことの集大成なので、それなりに気合を入れてやっているつもりだ。論文の完成度として卒業に必要なラインはもうクリアしていると思うが、できるだけ完成度を高めて良い雑誌に載せたいと思っているので、3連休も全潰しで自己満足のためだけに修正にかかる。
 で思うのが、論文書きに費やされる時間の大部分って、情報の網羅性を保証することに使われてるよねってこと。例えば何か言いたいことがあって、その主張を補強する過去の論文を偶然いくつか知っていたとする。卒論や修論レベルの文章を書いているのなら、その知っている論文を引用しとけば差し支えないかもしれない。だけど、それが世の中に出回る論文だとすれば、そんないい加減なことは許されない。引用しようとしている論文が本当に自分の主張と合致した内容を主張しているのか精読してちゃんとチェックしておかないと、その論文の著者から「俺そんなこと言ってねーし!」って怒られるかもしれないし、同じことを主張している論文が他にもまだないか調べとかないと「それは俺が最初に提唱してたのに!」って怒られるかもしれないし、反対の主張をしている論文が無いかもちゃんと調べておかないと「なんで否定的な意見には触れてないのか」って怒られるかもしれない。
 要するに、自分の主張に関連する全ての論文を精読したと思えない限りは、自分の論文上で何かを主張することはできないってことだ。しかも世の中の論文の数って本当に無限で、分野が細分化しすぎてて重箱の隅をつつきました的な研究ばっかりだから、これを調べるのが本当に大変。「網羅した!」と思っても、ちょっと違う検索ワードで論文探してみたらまだ目を通してない論文が無限に出てくるし、それを読み進めているとさらに読んだことない関連分野の論文がたくさん引用されてたりする。本当に終わりが無いわ。
 だから、自分の論文の展開が頭の中にあって「あとは書くだけ!」とか思ってても、結局情報を網羅することに一日費やされるのだから全然進まない。シンクタンクで働くようになっても同じような現象が発生するのだろうな。まぁ一つ期待しているのは、今の研究と違って、それぞれの分野を大体網羅している第一人者と話ができる環境にあるのだろうな、ってことだ。
 今の環境の最高に糞なところは、僕のやってる研究分野のことを僕以上に知っている人が周囲に一人もいないってことだ。自分で好き勝手に研究を進めてこれたのはとても楽しかったし恵まれてるし色々勉強になったのだけど、論文をまとめる段になり、「高々3年しか研究してないペーペーが一人で書けるわけないだろ!」というのが現状。きっと僕はプロからみればものすごく非効率なことしていて、師匠が一人でもいればとっくの昔に論文は出来上がっていたことだろう。あー。あまりにも論文が書き進まないのでつい長文を書きたくなってしまった。