歳をとると小脳で生きる時間が増える


超撥水@ハスの葉

 気づいたら朝起きていて、気づいたら朝食を食べていて、気づいたらトイレでスマホを触っていて、気づいたらお尻をふいていて、気づいたら水を流していて、気づいたら着替えていて、気づいたら寝癖を直していて、気づいたら靴を履いて、気づいたら家を出ている。職場についてからは、それなりに頭を使って仕事をしているつもりだけど、気づいたら昼食を食べ始めていたり、気づいたら喉が渇いてコーヒーを入れていたりすることがよくある。そして家に帰って、気づいたら夕食を作って食べていて、気づいたらシャワーを浴びていて、気づいたら布団の中でYoutubeを見ながら眠りについている。
 幼稚園の頃は、着替えたりトイレに行ったり靴を履くのですら大脳をフル稼働させるべき大仕事だったはずだし、小学生の頃は、毎食「いただきます」といいながら意識的に食事を開始していた。一人暮らしを始めた当初は、毎朝支度を抜かりなく済ませ、毎晩夕食を作って食べるために一生懸命頭を使っていたし、スマホが出てきた当初は、トイレで携帯をいじったり、布団の中でYoutubeを見るという行為自体がイレギュラーで緊張を伴う行為だった。だけど、今、ふと気づいたときに、それらを無意識的に済ませてしまっている自分に気が付くことがある。こういう状態を僕は「小脳で行動している状態」と呼んでいる。実際には小脳だけを使っているわけではないと思うのだけど、「大脳使ってない」という感覚が分かりやすいから、そう呼んでいる。
 歳をとればとるほど、日常の様々な行動がルーチン化してきて、小脳で行動する時間が増えてくるように思う。もう、食事もトイレも靴や服の脱ぎ履きも、何千回もやっているのだからしょうがない。生きてきた時間が長くなればなるほど、そうやって頭を使わない、作業みたいな時間が増えてくるのだと思う。
 それで、本当に小脳で完璧にこなせるのであれば、単純に大脳の負担が減るだけなので、いいのかもしれない。だけど実際はそんなことなくて、しっかりと頭を使って考えない分、少なからずエラーも起こりうる。例えば先日、気づいたら箸を左右で違うセットのままご飯を食べ終えてしまっていたし、もっと怖い話では、車の運転しているときに、青信号を無意識的に通過していて、直後に「今信号本当に青だったっけ?」みたいに考え直すことがあったりもした。一歩間違えば重大な結果を招きかねない、免許取得直後にあれだけ緊張していた運転ですら、小脳化されてしまっていたという事実に、僕は大きな恐怖と反省を感じた。
 今僕は20代後半だけど、今ですらこうなのに、50歳とか60歳とか、このまま歳をかさねていくと、一体どうなってしまうのかと想像すると、とても恐ろしい。そのうち、人の相談にのったり、誰かと話して何かを決めたりといった行為すら、小脳のテリトリーになってしまいそうだと容易に想像できる。今どれだけ大脳をフル稼働させて一生懸命にやっていることでも、20年とか30年とかのレベルでやりつづけたら、きっと小脳に任せるようになる日が来るのだろう。そしてその延長線上に、老害とか痴呆と呼ばれる状態があるのではないかということも、僕は想像してしまう。だから僕は、歳をとっても色んなことが適当にならずに大脳を使い続けられている人は、本当に努力してきたエネルギッシュなすごい人だと思うし、できることなら自分もそういう歳の取り方をしたいと思う。
 こういうことを考えるようになって、僕はできるだけ、身の回りの無意識的な出来事について、改めて深く考え、意識するように努力をはじめた。電車やバスに乗っているときは、小脳でスマホのニュースをチェックしそうになるところを大脳で抑えつけて、周りの人の様子や景色を観察して、できるだけ変化や考察を感じるとるように意識する。スーパーで買い物をするときは、小脳で定番の具材を揃えようとする前に、何か新しい具材を試す余地がないか、売り場を見回してみる。食事をするときも、小脳が給油のごとく食物を口に運ぶのを抑えつけて、いただきますを言って、味わいながら1品ずつ食べてみる。もっとしょうもないところだと、できるだけ電卓を使わずに暗算で計算する、とか、できるだけGoogle Mapを使わずに目的地に到達する、とか。そうやって、あえて大脳が疲れることをやってみないと、放っておくとどんどん小脳に生活を侵食されてしまうような恐怖を感じる。変化の激しい環境に身を置いたり、アウトドアやスポーツといった不確実性の高い趣味を続けることも、小脳の支配を遅らせるために効果的な気がしている。
 いずれにしても「大脳 VS 小脳」という二項対立のもと、小脳に支配される恐怖におののくことは、色んな事を改めて見つめなおし、一生懸命になろうという気持ちにさせてくれる、なかなか便利なアイデアだと思う。

ネガティブとポジティブのシナジー


2羽のコンコルド

 人間の性格をベクトルで表したとき、ベクトルの向きを変えるのがネガティブな感情であり、ベクトルの長さを伸ばすのがポジティブな感情だと思う。だから、人が一番変わるのは、現状を否定されて足止めされて打ちひしがれているところに、かすかな光が見えてきた時なのだと思う。良い教育者とは、そうやって自然に他人を導くことができる人だと僕は思う。大人だろうと、子供だろうと、他人を動かしたい・変えたいのであれば、頭ごなしに説得したり叱りつけたりするんじゃなくて、外堀を埋めて自己嫌悪に落とし込んだあと、ちょっと褒めて前向きにさせてあげればいいのだと思っている。
 さて、お金が無い現状を嘆くフェーズも一巡して、現実を受け入れはじめていたところで、思うように進んでいなかった論文の筆が進みだして、まさに今、ネガティブとポジティブが組み合わさって新しいフェーズに進みだした気がしてきたところだ。こういう気持ちを新たにした。

莫大な金銭的機会損失と引き換えに、これだけの自由を手に入れた。だとすれば、これだけの自由がなければ絶対に到達できないレベルの仕事をしなければならない

 老後に趣味ででもできそうなレベルの研究や、ちょっと金と時間を積めば誰でもできるレベルの研究ではダメだ。人生を捧げるのに、その程度の研究で終わるわけにはいかない。付け焼刃ではない、命懸けレベルでやらなければ到達しえない領域というのは、どのような仕事にも、必ず存在すると思う。給料を人と比べて将来を心配するヒマなんかあるんだったら、自分のやっていることが、将来本当にそういうレベルの仕事に発展しうるのか、平凡な研究に終わってしまわないか、ということのほうが、よっぽど心配事であるべきだ。
 ギアが変わった。小さい頃から、僕が成長するのは、いつも激しい自己嫌悪に襲われた後だ。これは定期的なイベントだったのだ。

自己嫌悪ループから抜け出すための文章


アジサイの森@三室戸寺

 論文書きや申請書書きが山積していて、のんびりしているヒマは無いのだけど、どうにもこうにも、腹が立って悔しくて、仕事に手がつかないので、長文を殴り書く。
 退職して学振で研究の世界に戻ってきて1年3か月が過ぎた。仕事は順調だ。復帰後初となる論文も納得いくレベルのジャーナルに通せたし、さらなる大作となる予定の次の論文を、分野のトップジャーナルに通すべく、日々実験と論文執筆に勤しんでいる。さらにその先、今の研究を発展させ、新たな研究領域を切り拓いていけるかもしれない手ごたえもつかめてきた。少なくとも、5,6年先くらいまでは、やるべきことが明確になっている。土日は遊びたくてしょうがなかった会社員時代とは違って、土日も仕事を前に進めたくてしょうがない。趣味や旅行に遊びに誘ってくれる人がいるおかげで休日を作れているけど、無ければ365日働き続けていると思う。それほど、人生と仕事が一体化していて、楽しい状態だ。
 じゃあ何が悔しくて腹が立つのか。単刀直入に言えば、お金の話だ。正確に言えば、お金の話をしてしまう自分に悔しくて腹が立っている。僕がお金の話をすると「またか」と思われそうだ。今の職場では、僕は周りの大学院生に比べて、公私において、何かとお金の話を好むキャラとなっている。それは、僕が会社員経験を経て、お金の力を十分に知ってきたからというのもあるし、基礎研究と言えど今時はスピードと技術がモノを言う、お金を上手く使った人間が成功する世界になってきていると感じているからというのもある。
 だけどそれ以上に、僕がお金の話をしてしまったり、それで悩んでしまったりする圧倒的な理由は、「会社員の仕事ぶり・生活ぶりを知ってしまっていて、どうしてもそれと比較してしまう」というのがある。僕はこの話をするときは色々予防線を張ってからにするのだけど、ここではその必要は無いと判断して、単刀直入に言う。「レベルの低い仕事で給料を安定してたくさんもらえる」というのが、僕の中での会社員像になってしまっているのだ。一方でアカデミアでは「レベルの高い仕事をしている人間が信じられないくらい低い給料で働いている」のを日常的に見ることができる。もちろん、自分の観測範囲の話を安易に一般化すべきでないというのは分かっている。だけど少なくとも「僕はその両極端の事例を見てしまった」という点において、また、自分自身「身分不相応な高い給料をもらう立場から、仕事不相応な低い給料をもらう立場まで経験した」と感じているという点において、その二つを比較して、悪態をつく権利くらいはあるのではないか、と思ってしまうのだ。
 こんなことを言うと「会社員馬鹿にすんな」という声が聞こえてきそうなので、3つ言い訳をしておきたい(やっぱり予防線を張る)。一つは、僕は会社員個人に対してそのような感覚を持っている訳ではなく、会社のシステムに対してそう思っているということだ。かつての自分も、多くの友人も、自分の親だって会社員だし、会社員個人に対しては何の否定的感情もない。新卒採用も終身雇用も年功序列も、理不尽な点は多々あれど、会社だけでなく、社会の安定に貢献する素晴らしい制度であり、多くの人たちがそれによって幸せに生きられているということはよく理解している。ただ、今の自分の環境と比較してしまう対象として、かつて自分が所属し、目の当たりにしてきた、一般的な(大企業の)会社員という生き方を想像してしまうというだけだ。
 もう一つは、「レベルが低い」というのは僕の偏った視点からの評価でしかないということだ。ここで僕が言うレベルとは「こだわりが込められている」「知識・技術がすごすぎて鳥肌が立つ」というような抽象的かつ精神的な指標であって、「売上」という絶対的な指標で動いている一般的に会社員からすると「不要なこだわり」だと思われているモノたちだ。だから多くの会社員にとって理想の「誰がやっても楽にたくさん稼げる仕事」も、僕からすれば、誰でもできてしまう、こだわりの感じられないレベルの低い仕事になってしまう。600%の努力を割くのなら、10個の60%で効率よく稼ぐよりも、6個の100%で人に鳥肌を立てさせたい、とか考えてしまう。まぁ、こんなんだから会社が合わなくて辞めたんすけどね。なので、「レベルが低い」という刺激的な言い方をしたけれど、それは上述のような、会社ではむしろ仕事ができないとされる人間が考えるような、非効率で精神論的な観点からの意見でしかない。それに僕は会社員生活を通じて、お金を稼ぐことの大変な面も、「稼ぐ」という行為が持つ説得力の強さもそれなりに見てきたつもりで、「稼いでない奴が何を偉そうに、自分で稼いでみろよ」といわれると、自分みたいな基礎研究者は黙るしかないことも分かっているつもりだ。
 そして最後の言い訳は、だからこそ、こういう事を考えてしまう自分自身を、僕は全く正当化していなくて、むしろ自己嫌悪を感じているということだ。会社員は「需要に応えてお金を貰う」という価値基準に忠実に仕事をこなし、正当に稼ぎ、正当に給料を得ていて、それにより経済が周っている。そしてそれによって、自分のような基礎科学研究者が食わせてもらえるだけの社会的な余裕が生み出されている。それについて僕は何一つ否定する権利はないし、感謝しなければならない。にも関わらず、その仕事を「レベルが低い仕事で安定して給料もらいすぎ」と評し、見下したり、比べたりしてしまう自分。とても浅ましくてみじめだ。そんなことは、良く分かっている。
 だけどそれでも比べてしまう。年収240万社会保険無し副業禁止という学振DCの待遇。悔しいけど、どうしても他人比べてしまい、差を感じずにはいられないときがあるのだ。会社を辞めて給料は半分以下に減った。けど別に僕は今の給料を2倍にしてほしいと言っているわけではない。アカデミアは自分では稼げないから、民間より給料が低いのはしょうがないと思う。直接稼いでいる人のほうがたくさんもらえるのは当たり前だ。でもだからといって、そんなに冷や飯を食わされることをやっているのだろうか。基礎研究が、50年先の未来に当たり前になっているものを研究しているかもしれないことは、周期表、重力、電気、遺伝子が発見された当時、何の役に立つか理解されなかったことを考えても想像できるだろう。もし自分の研究への投資意義を説明する機会を頂けるのであれば、僕はどこへ呼ばれたって行って説明・対話する意欲も自信もある。決して遊びのつもりでやっているわけではないし、雇用の保証が無いなか、文字通り命を懸けてやっている。だからせめて、お金のストレスで研究やライフプランに支障が出ないくらいの給料、例えば300万円台前半(20代後半の平均年収)くらいは頂きたい、と思うことはやはり贅沢なのだろうか。休日に研究関連の仕事のお手伝いをやっても、副業禁止規定で給料を受け取れない。そうでなくても、奨学金の返済や、逆公私混同の自腹出張などの研究に絡む出費も多い。毎月ギリギリの家計なので、いつ病気したり、車が壊れたりして、生活が回らなくなるのかも分からない。休日に民間に勤める友人に誘われても、同じようにお金を使って遊ぶことができない。お金が無いから結婚できない人が増えているというけど、最近僕もその気持ちはとても分かる。そして今、税金や保険の支払いなどの出費が立て続けにきて、海外出張の立替もしているせいで、完全に資金が底をついて、会社員時代に長期資産として溜めておいたお金に手を付けなければならなくなった。証券会社に入れておいたお金を引き出すときに、何とも悔しく情けない気持ちになって、「僕がやっていることはそんなに価値が無いことなのだろうか」と自問した。会社にいたときはあんなに楽に沢山稼げていたのに。そしてまだあと1年半以上、どれだけ成果を出しても、今の給料は変わらない。ふと「自分の選択はやっぱりアホだったのだろうか」と、考えないようにしていたことが頭の中に浮かんでくる。
 そしてこうして頭の中で思考が一巡した後、自分を棚に上げて、給料を他人と比較してあーだこーだ言っている自分に再び自己嫌悪する。何百年ものあいだ、金持ちの道楽でしかなかった基礎研究で、給料を貰えるという時代・環境に生まれた時点で、人類史上最高の運の良さに恵まれているのに、僕は何を嘆いているんだ。もっと苦しい経済状況の人たちがたくさんいるなか、毎日十分寝られて、月に額面20万円ももらえるだけで、とても贅沢ではないか。今一流の科学者だって、学生時代は同じように貧乏だったはずだ。僕より業績があるのに給料が低い研究者だっていくらでもいる。会社辞めて起業して成功した人だって、最初の数年は貧乏だったに違いない。自営業の人達だって、研究者以上に命を懸けで仕事をしているはずだ。自分ごときが、この程度の業績で、なにを偉そうなことを言っているのだ。
 そうやって考えて、納得したつもりになりかけたところで、冷静になり、再び、他人との比較でしか自分を動機付けられない自分に自己嫌悪を抱く。自分より楽に生きている人をみて嫉妬し、自分より報われてない人を見て納得する。浅ましい。そしてこうして、悔しさと自己嫌悪との間を行き来し、研究に手がつかない自分に、さらにどうしようも無い自己嫌悪が襲う。何をくだらないことに悩んでいるのだ。やりたい研究が順調に進んでいて、死なないくらいのお金をもらっているのだから、それだけで贅沢すぎるではないか。人と比べようとすることが間違っているのだ。
 だけど、両極端の世界を経験してしまって、知ってしまった以上、もう、比較をせずに生きるというのはとても難しいのだ。最近思うのは、僕は会社員時代の自分の苦労を過小評価しはじめているのかもしれないということだ。お金のことばかり考えすぎて、「楽に稼げるつまらない会社員」と「給料低いが充実している研究者」という2項対立のなかで、後者を選択した自分の姿に納得することに必死になっているのではないか。本当に浅ましくて考えるのも嫌になる。考えないようにしたい。でも、お金が無いフェーズにさしかかると、どうしても不安になって、比較してしまって、考えてしまって、仕事に手がつかなって、苦しい気持ちになる。だから今、これを書いてスッキリしようとしている。
 今思えば、会社員時代だって、僕は年功序列と終身雇用の恩恵に与る働かないオジサマ達と給料を比較して悪態をつく若手社員の一人だった。今の自分から見れば、そんな僕も、新卒採用という、未経験の人間に高給を支払う超絶優遇制度の恩恵に与っているだけの同じ穴のムジナだ。僕は、どこに行っても人と比べてしまう浅ましい人間だということだ。だから、人と比べても何も生まれないし、ろくなことがないということを理性で理解して、感情を抑えつけるしかない。たとえ過去に運よく2倍以上の給料を貰っていた時代があったとしても、それは僕の実力ではないし、たとえ自分よりも明らかにレベルの低い人が給料をたくさんもらっていることを知っていたとしても、それは何の関係もない。今僕がこの給料でしか働けないのは、今の僕に実績が無いからに他ならず、自分の手でこの状況を打開できないのであれば、何のせいにもできない。だから、ちょっと、出費が重なったタイミングで懐が苦しくなって、深く考えすぎただけだということにする。そして、自分の研究で世間が鳥肌を立てる日を夢見ながら、研究で人並みに給料が頂ける日を期待しながら、引き続き頑張ることにする。さて、今度こそ抜け出した。仕事に戻ろう。

哲学・論理学・心理学との出会い


荒波@雄島

 高校生まで、「成績」という絶大な評価軸に上手く乗って生きてきた、ガリ勉優等生タイプの人間にとって、大学に入学して「社会の広さ」「評価軸の多様さ」を目の当たりにし、心を打ち砕かれるイベントは通過儀礼なのではないかと思う。僕自身も、大学の学部生の頃、この壁にぶち当たって、精神的にひどく落ち込んだ時期があった。

これまでの自分が自信の拠り所にしていたものは、クソ広い世の中から見れば全然大したことない。世の中には「答え」も「あるべき像」も無い。自分は万能ではないし、何者でもない。無限に存在する大人の中の一人でしかないのだ!

ということを頭で理解し、心で理解し、完全に受け入れて一人の大人として自立して歩き始める自信を得るまでには、2年くらい必要だった。そのプロセスで僕の思考を大きく成長させたのが哲学だった。高校生までの僕は理系の学問にしか興味が無く、哲学は空想の世界で屁理屈をこねているだけのくだらない学問だと思っていた。だけど、万能感を喪失し、落ち込み、自分を見つめなおすべくこれまでにない深い思考を重ね、自分の考えを分解しつくし、行きついた境地は、まさに哲学が通ってきた道で、「懐疑主義」「相対主義」「実証主義」「反証主義」といった名前ですでに説明が付けられているものだった。その経験によって初めて、哲学は発散する自分の思考を現実世界に繋ぎとめるという現実的な用途がある、有用な学問なのだと気づくようになった。すでに先人によって考え尽されている事なのであれば、自分で考えるよりも勉強したほうが早い。一度興味を持つとのめりこんでしまうのが僕の性格で、科学哲学系の入門書を中心に、哲学の本を読み漁った時期があった。この経験は僕にとって本当にかけがえのないものだった。ちなみに今少し過去を振り返ってみたら、哲学的妄想にのめりこんでいた頃の自分の日記が出てきて面白かった。(しかし、昔の自分のブログを読んでいると、本当に面白くて、哲学的な洗練の過程で苦しんでいる時代のほうが、パンチが効いた文章が書けていたと感じる・・・そしてこのブログが自分の思考を整理するために絶大な機能を果たしていたことが分かる)
 哲学を勉強していく過程で、自動的に興味を持つようになったのが、思考の過程を最高レベルに抽象化した結果である論理学だ。簡単には「AかつB」の否定は「「Aでない」または「Bでない」」という大学入試レベルの話なのだけど、突き詰めていくと非常に面白い学問で、往々にして「論理的に正しいことと、心理的な直感が一致しない」事態が存在することが分かる。元来「メタなもの」が大好きな自分にとって、「人間の直感はちっとも合理的で無いということが、合理的に説明されている」ということが、ものすごく面白かった。そして「直感を合理で否定できる精神を獲得したい」という尊大な欲望が、論理学からさらに心理学へと自分の興味を進めていった。心理学と言っても、主に認知バイアスを扱ったものが中心だけど、世の中には「頭を使って直感に反する選択をするのが正解」なケースがたくさんあるということを頭で理解することは、驚きと発見の連続で、何よりも自分が賢くなったような気がして非常に楽しかった。
 幸か不幸か、大学院生になって以降は現実世界が忙しくなってきて、そのような抽象的思考にとらわれる時間は無くなってしまった。だけど今でもよく思うのが、あの、人生で最も時間が有り余っていた、モラトリアム学部生時代に、哲学・論理学・心理学に触れた経験が、今の自分の思考のベースのかなりの部分を形作っている、ということだ。あらゆるものの価値は主観によって相対的に決定されること、「周囲を疑うこと」よりも「自分の立場を表明すること」のほうが生産的であること、科学にとって再現性・反証可能性が致命的であること、直感には都合の良いものばかり集めて自分を肯定し安心したがる習性があること・・・などなど、挙げるとキリがないけれど、ごく無意識的に、こういうことを前提に置きながら、自分が日々思考しているということに、ふとした瞬間に気が付く。そして、それが学部生時代に自分にたまたま時間があって、たまたま哲学に興味を示したことをきっかけに行きついた境地だということを想像して、本当に良かったと思うと同時に、もしそれが無いまま人生の忙しい時代に突入していたと思うと本当にぞっとする。
 じゃあ、中学・高校・大学で哲学・論理学・心理学を必修にして、強制的に身に付けさせる教育制度だったら良かったのか?というと、残念ながらそうではないと思う。僕自身、自分で哲学の重要性に気が付くまでは、それに微塵も興味を示さなかったからだ。高校の倫理の授業で出てきた哲学者の名前も、完全に試験対策情報としてしか認識していなかった。知識を正しく吸収するためには、単に「やれ」と言われるだけではダメで、自分の興味と、触れる情報が絶妙にマッチした瞬間でないとダメなのだ。
 そう考えると、僕が哲学・論理学・心理学にハマって、今の思考の基盤を得るに至れたというのは、改めて本当に偶然だったと思う。(1)たまたまモラトリアム学部生の時間が余って仕方がなかった時代に、(2)たまたま自分が万能感を喪失して精神的なダメージを負い、(3)たまたま自分が何でも突き詰めて考えなければ気が済まない性格で、(4)たまたま自分の思考の終着点が過去の哲学者によって説明づけられている境地だということを知ったが故の結果だ。もう一度人生をやり直したとして、同じように哲学・論理学・心理学を自分から勉強したいと思える事態になっただろうか?僕は自信が無い。
 今の自分は、想像以上に絶妙な偶然の結果で成り立っていて、それを当たり前だと考えるべきではない。当たり前だと思っていることが、出会うべき時に、出会うべきものと出会えたことの幸運の結果であることを時々思い出して、感謝しなければならないし、これからもそういう偶然の出会いをできるだけ増やせるように、可能性を広げる努力しなければならない、と思う。

相手の可能性を意識して人と話さなければならない歳になった


二重らせんの塔@台湾

 先日、大学院修士課程の新入生の前で、講演をさせてもらう機会があった。夢いっぱいのスタートを切ってもらうべく、先輩研究者が研究内容や大学院生活を面白く紹介する、という企画だったのだけど、他にも講演者がいたし、僕はちょっと違う角度から攻めてみたいと思って、自分が会社員を辞めてアカデミアに戻ってきた経緯を説明しつつ、「研究者に向いている人、正直就活したほうが幸せになれる人」みたいな踏み込んだ話を最後にちょこっと挟んでみた。
 最後のスライドの一部をそのまま引用すると、

・「何かを根本から明らかにしたい」という強い気持ち
・命を懸ける覚悟
これらを持ちきれない人は、民間企業に行った方が楽に幸せになれるはずです

という内容で、伝えたかったのは「研究者になるためには、生半可な興味ではダメで、命を懸けられるくらいの強烈な知的好奇心が必要だ。果たしてそれが自分にあるのか、良く問うてほしい」という事だった。これは最近自分がよく考えるようになったことで、結局、研究者としての素質や能力って、学歴でも論理思考でも語学でもなく「どれくらい本気で世界一の研究をやる気があるのか」ということに尽きるのではないかと思うのですよね。「世界初の発見をしたい、発表をしたい」という強い目的意識があれば、思考力だの語学力だの事務処理能力だのといった手段をこなす力は自然についてくる。手段でなく目的。これに尽きると思う。
 で、一通り話し終えた後の質疑の時間、聴衆の新入生から「アカデミアと会社員を行き来してみて、一番感じた違いはなんでしたか?」という質問をもらった。僕は研究内容のほうで質問が出るかなと思っていたので、この質問は想定外で、とっさに出た回答はかなり本音に近いものだったはずなのだけど、

様々な感想があるとは思いますが、会社って言われたことを言われたとおりに、当たり前にやっていればお金をたくさんもらえる、楽な場所だなぁというのが、私が一貫して感じる一番の感想かもしれません。だから、研究者を目指して努力を積み重ねている人が、就職活動や社会人になることを恐れることは全くないですよ

というようなことを言ったと思う。これもここ数年強く思うようになったことなのだけど、「言われたことを言われた期日までに正確にやる」「問題が起こったら速やかに報告して対処する」といった当たり前のことを当たり前にやるだけで、世の中では意外なほど珍重され、評価される。逆に言うと、社会ではそれすらできてないヤバい状況がそこら中で起こっていて、小さい頃から「大人の世界は厳しくて大変だよ」と教えられて育ってきたアレは本当は嘘だったのだ、と感じざるをえないことで溢れている。ゼロをマイナスにしない仕事さえできれば、十分に信頼されてお金を貰える。ゼロをプラスにする、なんてことが求められるのは、本当に一握りの層であって、世の中の仕事の大半は「当たり前のことを当たり前にやり切る」ことで十分に儲かるようにできている。
 そういう、僕が今まさに感じていることを、とっさの質問に対して、出てきたままに自分の言葉で伝えたつもりだった。だけど、この回答に対する会場の反応は「ポカーン」という感じだった。ちゃんと伝わったかな?ちょっと言い過ぎたかも?という不安のまま、次の講演者にバトンタッチ。そして面白かったのは、その次の講演者が、同じく講演の後半で「これから大学院生活を送る皆さんへのメッセージ」みたいなのを紹介していた中で、僕とはかなり違ったことを言っていたことだ。
 この人は僕よりももう少し年上で、指導の経験もあるであろう助教クラスの研究者だったのだけど、彼が紹介していたのが、「学生時代はさっぱりで、よく『自分は研究に向いていない』と口にしていたが、今は一線の研究者としてバンバン成果を出している同僚」の事例で、メッセージとしては、

スランプもあれば、伸び期もある。そのタイミングは、自分にも、周りにも、分からない。だから簡単に「才能がない」と諦めることなく、努力を続けてみてほしい

といったものだった。
 彼の言葉と、僕が言ったこと、どちらが正しいのかという議論はここではしない。賛否はあるだろうけど、どちらも心の底から新入生に伝えたかった自分の意見で、どちらも正しいと思う。
 ただ、これを聞いて、僕自身が思ったのは「あ、俺も歳をとったのだ。気をつけなきゃ」ということだった。なぜか。それは、彼の意見のほうが、大学院生になりたての学生たちに、より信頼を置き、より可能性を見出し、より寄り添った意見だと思ったからだ。対して僕は、今の自分の価値判断軸で、自分が感じていることを、厳しく説得的に本音で語った。果たしてそれが、新入生達にとって、自分事化できるほど身近なこととして受け止められるものだったのだろうか。
 少し回りくどくなったので、一言でいうと、

僕が同じ年齢だったころに、同じ講演を聞いたとして、言っていることを理解し、プラスに捉えることができただろうか?多分、できなかっただろうな。

というのを考えてしまったということだ。その日、僕が話した新入生達は、自分よりも6歳年下だ。僕自身、この6年の間に、ものすごく色んなものを見て成長した。6年前の自分には想像もできないくらい、今の自分は豊富な考え方ができるようになった。じゃあ今、その自分が考えている一番新しいことを、6歳年下の彼らに、必死になって本音で伝えたところで、真意を伝えきることなんてできるのだろうか。限られた時間で伝えるべき内容として、僕が話したことは正解だったのだろうか。むしろマイナスの影響すらあったんじゃないだろうか。色んなことを考えた。


 言いたいことは、この経験を通じて僕は「相手の可能性を意識して人と話さなければならない歳になった」と感じたいうことだ。これまでの人生では、大体話し相手は年上だったから、自分の最先端の本音で話をしても、「浅すぎる」と思われることはあっても「深すぎる」と思われることは少なかったはずだ。だけどこれからは、少しずつ、自分よりも年下に話をしたり、何かを教えたりする機会が増えてくる。こういうとき、自分の考えを自分の経験に基づいて本音で伝えることが、必ずしもプラスには働かず、場合によっては相手の可能性を見落とす結果につながる可能性を考えておくべきではないだろうか。またそうならないように、「若いころの自分が何を考えていて、いかに無知で経験不足だったか」ということをいつまでも思い出せるようにしておくことが大事になってくるなんじゃないだろうか。
 僕も30代が近づいてきて、少しずつ自分のモノの見方、考え方が固まってきたようにも感じる。このことは、自分も「自身の固定観念で伸びしろのある若者に誤った評価を下すオッサン」になる可能性を秘めはじめたということを意味する。これからも、5年・10年くらい歳の違う人間と平気で一緒に仕事をしていくだろうけど、5年・10年で人間がいかに成長するか、ということを決して忘れてはならない。そして成長だけではない。時代背景も違う。今後、自分には持ってない能力や考え方を持った年下が現れることも当たり前になっていくはずだ。そんな中、自分の考えを、自分の経験に基づいて、ただ本音で後輩に伝えていくだけでは、このまま老害まっしぐらではないか・・・そう感じさせてくれた、もしかすると聴衆の新入生以上に勉強になったかもしれない、博士課程2年目の幕開けの出来事だった。

暖かい雨の朝の通勤の車内にて


秋雨のメタセコイヤ並木@マキノ

 家から研究室までは片道6キロ、信号は1つだけの田舎道。最近は菜の花や梅も咲いてウグイスも鳴き始めた。朝焼けとケリの鳴声で目を覚まし、ゆっくりと朝食を食べてから、仕事に向かう。田舎の安アパートなので、室温は一桁。部屋でも息が白い。そこでインスタントお茶漬けを食べるのがうまい。東京で会社員をやっていた頃は、満員電車を避けるために毎日5:43の電車に乗っていた。毎日1本ずつ電車を早くして、確実に座れる時間帯を模索した結果たどり着いた時間だ。本当に気が狂っている。5:20に起きて5:38に家を出て小走りでホームに駆け込み、5:54に乗り換えて6:21に会社についてそこでコンビニパンを食べるという分単位で決められた辛くてつまらない毎朝だった。壁に囲まれた建物の1階に住み、オフィスも地下鉄駅直結。天気や季節を感じるどころか、太陽を見ることすらない毎日だった。もう想像できないし、もう二度とやりたくない。今は研究室へは自転車で通っている。寒暖と気候と季節を感じ、きれいな空気を吸いながら通勤サイクリングを楽しんで、研究室につく頃には、程よく汗をかいている。とても健康的だ。雨が降った日は、別の楽しみがある。車に乗っていくことだ。今の車に乗ってから4年以上経つけど、未だに運転していてとても楽しい。やっぱり僕は車が好きだ。そしてMTがどうしようもなく好きだ。4年も乗っていると、スピードとエンジンの回転音で瞬時にギアの回転を合わせる勘が身につく。交差点を曲がるときは、ダブルクラッチ+ヒール&トゥを繰り返して6⇒4⇒3⇒2とギアを落として、後輪駆動独特の押されるようなステアリングを感じながら加速していく。とても楽しい。さらに楽しいことがある。ラジオだ。車で聞くラジオの雰囲気が好きだ。特に、朝の通勤の車内でラッシュの車列の中をトロトロ走りながら聞くやつの雰囲気は格別だ。コンビニの100円紙カップコーヒーを飲みながら通勤できればさらに格別なのだろうけど、年収240万円なのでそこは我慢。というか田舎すぎてそもそもコンビニがない。朝のラジオのチャンネルはαステーションと決まっている。京都のラジオ局なのだけど、植民地である滋賀にも電波が漏洩していて、とても有難い。僕は大学生の頃に散々聞いていたこのチャンネルがとても好きだ。しょうもない効果音ひとつとっても(交通情報が流れる前のテーンテーンテーン↑!とかいう音楽とか)、大学生の頃の懐かしい気持ちがセットになって浮かんでくる。東京にいたときは致し方なく東京FMに浮気したけど、滋賀に来た初日にラジオをつけて京都のラジオが入ったとき、鳥肌が立つほどうれしくて、「やっぱこれが最強」という思いを強くした。それほど東京が嫌いだったということの裏返しでもある。通勤時間帯のαステーションでは佐藤弘樹という声がとても美しいおっさんがひたすら喋っている。これも僕が大学生の時からずっと変わらない。朝と言えばこのおっさんの声だよね、ってのは京都圏では比較的同意を得やすい話題だと思っている。僕は通常車でラジオを聴くとき、適当に音楽を流しているチャンネルを探す。だけどこの朝のラジオだけは、とりとめの無いことを話し続けるこのおっさんのトークでいいや、という気分になる。で、だらだらと聞きながら運転しながら、近所の梅の開花状況や、畑の作物の育ち具合、川の流量などを確認しながら、10分ほどで研究室に到着する。先日の雨の日、いつものように、とりとめの無いおっさんのトークを聞きながら通勤していると、全然とりとめの無くない、深いことを突然話し始めて、それがすごく印象に残った。何かの引用だったのだけど、それが何だったかはきちんと聞いていなくて思い出せない。その後そのネタについて、断片的な記憶を頼りにググってみたりした。だけどそんな話は出て来なくて、ネットに出ないようなマイナーな引用源だったか、僕が勘違いして理解しているだけだという結論に至った。だけどとても印象に残ったので、僕の勘違い作り話かもしれないけど、ここに書いておきたい。それは、人生の岐路での選択にまつわる話で、

自分が本当にやりたいと思っていることを見えづらくしているのは「もったない」という気持ちではないか

という趣旨のものだった。「その高校でこの大学はもったいない」「大企業を蹴って中小に行くなんてもったいない」「理系なのに文系就職するのはもったいない」「苦労して入った会社を辞めるなんてもったいない」・・・といった「もったいない」という気持ち、言い換えれば「他者による評価軸」を打ち破ることで初めて、自分の本心で未来を選択できるようになるのではないか、という内容だ。これを聞いた瞬間、はっとした。こんな深い言葉がこんな朝のラジオで飛び出すとは。おっさんやるじゃん、ってなった。僕は会社を辞める時、まさにこの「もったいない」を周りに言われ続けた。それを辞める会社の人に言われるのは、分かる。家族や友人に言われるのも、まぁ分かる。福利厚生充実給料抜群永久保証の大企業を辞めて、福利厚生皆無将来保証皆無年収240万の学振特別研究員様になるわけだから、普通の感覚からすれば狂っているし、もったいないとしか言いようがないのだろう。面白かったのは、研究者サイドからも「もったいない」と言われまくったことだ。いや、自分の選んだ道、自分の将来、自分で否定するなよ、と思った。あまりにも全方面から「もったいない」と言われるので、僕も弱気になって「ああ、こんなに言われるのなら、辞めたあとに後悔があるんだろうな、覚悟しとこう」という予防線を張るほどになった。だけど今、1年弱経って、僕は愉快なほど後悔していない。強がりではなく、自分でもびっくりするくらいに、本当に「辞めてよかった」という感想しかないのだ。このラジオの話を聞いて合点いったのは、まさに自分がこの「もったいない」の壁を破って、自分の強い意志と責任で選択をしているという自負を実感しはじめているからだと思う。「もったいない」という言葉、資源節約にはいい言葉だ。だけど人間の選択を指して使うのには、あまり好きな言葉ではない。「もったいない」を捨てて、自分の意志を信じた結果、上手くいかない場合もあるだろう。だけど、「もったいない」に縛られてチャレンジしないまま人生を過ごすのと、どちらが正解かと言われると、誰にもわからないのではないか。少なくとも「もったいない」という気持ちに自分が縛られている可能性については一考してみる価値があるのではないか。暖かい雨の朝の通勤の車内の出来事、とても濃い思考と充実感を持って研究室に到着した。おっさん、ありがとう。やっぱりラジオはαステーションだ。去年の春に咲いていた花や鳴いていた鳥を再び見かけるようになり「もう会社を辞めて1年か」という思いを強くする。「もったいない」から自分を解放したことが、将来吉と出るか凶と出るかは、全くの未知だ。研究成果もようやく出始めたけど、これがどれくらい評価されるのかはこれからの話だ。将来が本当に分からない。世界レベルで分からない。来年の今頃は海外にいて、次にあの花や鳥が見れるのはだいぶ先になるのかもしれない。これが僕が選んだ選択だ。でも今は、毎日がとても楽しい。ちゃんとやっているし、これでよくないですか?少なくとも、1日のうちのたった10分の通勤時間でそれを十分に感じられるくらい、充実している。明日も楽しみだ。

大人になると誰も叱ってくれない


霧の森@台湾


 先日とある研究会で、ベンチャー企業の若手社員(自分よりも年下)による自社紹介の発表を聞いたのだけど、なんか偉そうだった。周知の事実や根拠の薄いことを、自分のほうが良く知っているかような物言いで自信満々に早口で話し続ける。僕は途中から耳が痛くなってスマホをいじり始めたし、周りもそうしていたようだった。質疑応答では誰一人として質問をしていなかった。
 会場の大多数を占めていた僕よりも歳を重ねた聴衆にとっては、これは単なる「時々いる偉そうな意識高そうな若者」であって、珍しいものではなかったのだろう。だけど、僕はこの人のことが(発表内容は全く頭に残ってないけど)、とても印象に残った。自分にとってはまだ珍しい年下の社会人の発表者だったことや、本人には悪気が無く一生懸命発表しているように見えたこともあるのかもしれない。どのような背景が「偉そうな意識高そうな若者」をつくりだしているのだろう。僕はその後もあれこれと考えずにはいられなかった。

「自分を良く見せる」ことを良しとする教育

 「偉そうな意識高そうな若者」をそうたらしめているのは、「客観的に話すことより、自分を良く見せることに重きを置いている」ことだと思う。僕はこの背景に「良い子を目指す教育システム」があると思う。日本における高校生くらいまでの人生で、自己承認欲を満たしてくれるのは親と先生と友達の3者だ。その中でも大人(親と先生)から承認してもらうためには、マナーを守り、ルールを守り、勉強して、部活して・・・という良い子を演じる必要がある。大人側も、そういう模範的な子を褒めて伸ばす。そして「自分を良く見せることで大人に認められて成功する生態系」が出来上がる。そこで子供時代のほとんどを過ごすことで、大人に自分を良く見せることが無意識的にできるレベルに染みついた人間が量産される。その勢いのまま、自分自身が大人になり、親や先生がいなくなってもそれを止められない、というのが「偉そうな意識高そうな若者」の正体なのではないだろうか。特に、「褒められる⇒成功する」というサイクルを絶やすことなく大人になれた「育ちが良くて高学歴の人達」はこういう傾向が強いと思う。

大人になると叱ってくれる人がいなくなる

 自分が大人になることで怖いのは、「褒めてくれる大人がいなくなること」よりも「叱ってくれる大人がいなくなること」だ。冒頭の発表の場でも、質疑応答の時間に誰も手を挙げなかったことが、僕は怖かった。もし彼が高校生であれば、「もう少し落ち着いてゆっくり話して、言葉遣いも少し相手に気を遣ったほうがいいよ」くらいのアドバイスを先生から受けたことだろう。だけど彼は発表について何のフィードバックを受けることもなかった。別の場所で同じような発表を繰り返すことになるかもしれない。あの場で、彼に「偉そうだな」という感想を持った人は他にもいたはずだ。だけど、誰もそれを口にしなかった。誰もそれを彼に指摘する義理は無いし、「どうでもいい」からだ。大人になれば、よっぽど迷惑になることをしない限り、人に叱られることは無い。自分を客観的に見て方向性を修正するのは、ものすごく難しくなる。

「良い子」の存続に最適化されたインターネット

 この傾向に拍車をかけているのがインターネットの登場だと思う。「個人が相手の顔を見ずに発信できるようになった」ことによって、「良い子」を続けるのはますます容易になっているように感じる。
 「自分を良く見せたい」という人にとって必要なのは、「他人の評価」であって「他人そのもの」ではない。だからブログやSNSのように、個人が不特定多数に発信できるシステムはとても合理的だ。相手がどう感じるかや、相手の知識レベルがどの程度かを深刻に考えることなく自分の言いたいことを発信できる。そこに返ってくるコメントでは常に自分の話題の中心軸にあり、相手に話題を持っていかれたり、相手に合わせたりする必要もない。しかも、興味が無い人はそもそも何の反応も返してこないので、基本的にネガティブな反応を目にすることは少ない。まさに自分の承認欲求を効率的に満たすことができるように進化したツールだ。
 ネット登場以前、対面のコミュニケーションしかなかった時代は、相手が自分より知識レベルが高いことに気づいて自分の意見を引っ込めたり、同意できない相手の率直な批判の意見を受けたりする機会もまだ多かったはずだ。インターネットの登場によって、ただでさえ少ない「大人になってから自分を見直すチャンス」を得るのがますます難しくなっているのではないか。そして、批判的フィードバックを受けることがないネット上のノリのまま、対面のコミュニケーションに臨んでしまうケースが増えているのではないだろうか。
 あとこれは少し別の話だけど、ネットの登場で「知識の受け売りがしやすくなった」という点も「良い子」の寿命を延ばすことに一役買っているように思う。昔は「外面だけで中身ないよね」といって見破られていたケースも、「Googleで入手した情報を自分の意見のように発信する能力」を人々が獲得するにつれて、だんだん少なくなってきているのではないか。余談だけど、コンサルで働いていた経験から言うと、Googleの登場によって知識格差が無くなった今、「一次情報の価値」はますます高まっているように感じる。「調べれば分かること」と「この人にしか分からないこと」を区別して受信するリテラシーは今後もっと一般的になるだろうし、そうなっていくべきだと思う。


 だらだら書いたけど、自分を良く見せることが悪いと思っているわけではない。情報があふれる中で潰されないようにするためには、アピールは必要だ。言いたいのは、冒頭に書いたような「偉そうな意識高そうな若者」が、叱られて自分を客観的に見直すことができるチャンスが少なくなっているのではないか、ということだ。若い間は「ウザいなぁ」で済まされるのかもしれないが、そのまま歳をとってしまうと、ますます叱ってくれる人が少なくなってフィードバックが効かなくなるし、権力を持ち始めると面倒くさいことになる。ある日突然、取り返しのつかない炎上に発展するかもしれない。これは本人にとっても不幸なことだ。

本題

 と、粗末な議論をしたけど、実は冒頭の発表の話が印象に残ったのは、何を隠そうこれが自分にそっくりでは感じたからだ。偉そうな鼻につく話し方、落ち着きのない早口、とにかく自分事感が半端なく、聞いていて自己嫌悪しかなかった。
 会社員の時に行ったあるプレゼンを思い出した。聴衆は50人以上いて、ほぼ年上。相手は全員業界のプロで、こっちは雇われ調査会社として数か月その業界のことを調べただけだ。とても知識で相手に叶う訳ない。だけど調査の結果を発表しなければならない。こういう時の最適戦略は「とにかく客観に徹する」ことだ。主観を混ぜる余地は一切ない。だけどその時の僕はまだ未熟がゆえ、ストーリーを上手く作って、発表をきれいに見せることに労力を割きすぎた。発表直後に、自分でも「大失敗」と感じた。自説を展開することに必死になりすぎて時間がなくなり、最後は客観的に説明すべき部分もきちんと説明できなかった。後日、聴衆のアンケートの結果が返ってきた。「まあまあ」の評価がほとんどで、概ね無記入の自由記述の中に、いくつか「早口すぎる」というフィードバックをくれた人がいた。
 ・・・・・ただ、それだけの話なのだけど、このダメージはでかかった。あれだけ酷い発表だったのにほとんどの人がサイレントだった。だけど数人が「早口すぎる」と書いたということは、もっと多くの人がそう感じていたはずだし、書いてくれた数人は我慢ならないから書いたわけで、本当は「偉そうで早口で聞くに堪えない発表でした」という感想を書いていてもおかしくなかったはずだ。被害妄想なのだろうけど「大人になってから率直に意見を貰うことって本当に無いんだな」ということを強く感じた出来事だった。
 だから今、人前で自信満々に研究の話をしている自分が怖い。多少は面白がってくれる人がいることに安心できるけど、叱ってくれる人がいないことには安心できない。自分がやっていることはどれくらいアピールしていいレベルのことなのだろうか?世の大人たち、とくに科学者は、胡散臭いものを嗅ぎ分ける能力は一級だ。もしかしたら自分も「大したことないことを偉そうに語っている胡散臭いヤツ」になっているかもしれない。だけどそうだとしても、誰もそれを教えてくれないだろう。世の中は想像以上に自分に興味が無いのだから。そしてそう考えること自体、自分の自意識過剰な素性を表す自己矛盾であり、苦しみを増幅させる。
 先日ちょこっとこの日記がネット界隈で話題になった時は、率直な否定的意見もいくつかあってとても参考になった。やはり、自分の立ち位置を客観的に見るためには、否定的な意見が不可欠だ。大人になると、自分を叱ってくれる人が本当にいない。ネガティブな意見をビシバシ言ってくれる人がいて欲しい。でもそんな人、いるのかな。できることなら、5年後くらいの自分に今の自分をボコボコに頭ごなしに否定されてみたい。何を言われるのだろうか。それでも「今のままでいいよ」とか言われそうで怖い。