自然も社会も厳しいわい
研究はつらいよ。実験が上手くいかない。昨日は床のホコリがバクテリアに見えてくるくらい顕微鏡を見続けたけど、やっぱりダメだった。
一枚のプレパラートを検査するのに30分かかるので、↑これだけで8時間。外ではいつもどおりの休日が繰り広げられている中、暗い部屋にこもってひたすら小さなガラス板の上の細菌を探してまわり、気がついたら一日が終わっている。目的のものは見つからなかった。つまり結果はゼロ。残るのは徒労感だけ。自然は容赦なくはっきりとNOを突き付けてくる。
まぁそこが良いんだけどね。こうやって試行錯誤が出来ている時点で相当幸せ。今の時代、納得できるまで試行錯誤できる研究者なんてほとんどいない。みんな研究費とポストを巡る競争に必死で、結果と時間に追われ、生き残るために目先の事しか考えられなくなっている。こんなに愚直に研究できるのは学生だけだ。
で、散々自然の厳しさを思い知ったので、明日からは社会の厳しさを思い知ってきます。一週間ほど東京で内定直結のインターンシップ。第一目的はもちろん内定をとることだけれど、「社会人ごっこ」をすることも結構重要な目的だったりする。可能な限り社会人の生活を再現することで、「自分は就職してやっていけるのか」ということを確認したいからだ。
すぐにタクシー使う
先日、飲みの帰りに終電で乗り過ごし、泥酔状態で吹雪の中一時間以上歩いて家まで帰るという修行をした。乗り過ごした駅にタクシーが止まっていたんだけど、泥酔ながらも貧乏学生回路が働いてしまい、乗ることができなかった。3月は給料付きのインターンが二本入っているおかげで、就活で15万以上の黒字がある。インターン期間中は学生を辞めて、可能な限り社会人の生活を再現したい。というわけで、「歩くならタクシー」の精神でいく。
満員電車に乗ってみる
これは一日でいいけどね。通勤ラッシュの一番ヤバイ時間に一番ヤバイ路線に乗って、どれぐらい凄いのか、自分はそれを我慢できそうか、あと、本当に浮くのかどうかを確かめたい。
自然への感謝を忘れない
東京に就職することに対する個人的な懸念事項の一つが、街のクソ便利な生活に慣れすぎて、人間が自然の中で活かしてもらっていることを忘れてしまうのではないか、というのがある。モンゴルで感じた、「自然の中で人間はいかに何もできないか」という感情は死ぬまで大切にしたい。食べ物が出てくることとか、お湯がでてくることとか、トイレがキレイなこととかを当たり前だと思ってしまわない感覚が保てるかどうかで、僕が東京での生活に耐えられるかどうかが判断できると思う。