第七期俺 始動

 最後の学会、研究の集大成の発表が終わった。苦労して出した、誰が見ても文句の言えない結果、それを今まで鍛えてきた渾身のプレゼン力(ハッタリ力ともいう)をもって、大勢の前で発表できるなんて、研究者として冥利に尽きる。「もうやり残したことはない」という達成感と、「こんなに楽しいなら博士に進学しても良かったな」という後悔が入り混じってまだ整理がつかない。今の研究で面白い結果が出たのは内定が出た後の話だ。もし、あと3ヶ月結果が出るのが早ければ、僕はアカデミアに残る決断をしたかもしれない。就職という選択が正しかったのか、答えは永久に出ないだろう。
 さて、僕は自分の過去に解説をつけやすくするためにこれまでの生き様をいくつかのフェーズに分けて考えているわけだけれど、今回の学会の終了は僕の中で大きな一つの区切りであり、これをもって今日から僕は第七フェーズに入ろうと思う。もう一度第一フェーズからまとめるとこんな感じだ。

1988 -2007夏  第一期  万能感に溢れていた子供時代。狭い世界の中で何もかもが順調に進んでいた。研究者を志す。
2007夏-2008春  第二期  万能感の喪失。鬱の時代。感情が乱高下して、周囲に迷惑をかけまくった。
2008春-2009春  第三期  哲学的な自問自答に行き着く。まだ世の中には「答え」や「あるべき像」があると信じていた。
2009春-2010夏  第四期  京都から滋賀に引越し、一心不乱に研究。次第に世の中の答えの無さに気づき始める。
2010夏-2011春  第五期  世の中の答えの無さを認める。その本質を追究するべく、就活をしシンクタンクから内定を獲得。
2011春-2011秋  第六期  難しいことは考えず、とにかく研究に没頭。面白い発見が見つかり、データを揃えて学会発表。
2011秋-2012春  第七期  論文を執筆しつつ、哲学的抽象思考も復活させ、来春からの新生活に備える。

 とにかく論文を投稿することが最重要課題。データとネタは揃っているので、あとはいかに早く書き上げ、いかに良いジャーナルに投稿するかだ。ワクワクするぜ!論文は11月中にはsubmitして、それをそのまま修論化することで、同級生が論文提出期限間際で追い込まれてる頃までには鼻糞ほじりながら最後の学生生活を謳歌していて、南半球辺りに遊びに行けるような体制を整えたい。
 で、もう一つの「新生活に備える」というところについて解説。これは以下の三つの目標で構成される。

  1. 物を持たない生活に移行する
  2. 締め切りに追われる生活に移行する
  3. 社会の糞にまみれて丸くならない極意を習得する

(1)新生活を機に家のゴミどもを一掃したい。現状の生活の最大の反省点は家に余計な物が多すぎることだ。毎年使うものが部屋にいくつあるよ?この失敗の理由は第三期くらいまでの僕が宣伝広告のカモであり、資本主義の犬であったことに他ならない。目標は、部屋や押入れに蔓延る本や服、余計な小道具、電子機器に至るまで限界まで捨てて、部屋の構成物のほぼ全てが毎年触れるものになるようにすることだ。捨てるのがはばかられる思い出の品は死ぬまでダンボール一箱に収まるようにする。ダンボール一箱分の写真や賞状や成績表を読み返しているだけで、一日くらい使ってしまうだろうから、それ以上あったって死ぬまでに全部見ることはないだろう。もちろん釣り・自転車・熱帯魚といった趣味の領域も削減対象で、使わなくなってしまったルアーやパーツや水槽は全部捨てるか売る。この「持たざる生活への移行」は毎週計画的に少しずつ行い、引越しのときまでに完了させる。これによって来年からシンプルで効率的な生活を送ることができる。
(2)社会人と学生の最大の違いは何か、と問われたとき、あらゆる違いについてもっとも包括的に言及できるのが、「締め切りがあるかないか」という答だと思う。要するに、学生と違い、社会人はお金を貰って仕事をしているので、責任があり、その責任は往々にして与えられた時間内に全うすることが期待されているということだ。そして、この事実が、世の中のあらゆる憂鬱や長時間労働や柔軟な発想の阻害の根本的原因となっている。だから、今のうちに「期限内に仕事を仕上げるとはどういうことなのか」ということを考え、それについて自分なりの解説を得ておくことで、来年から仕事で忙殺されそうになっても上手く休み時間をとったり、目の前の仕事に追われず立ち止まって考える余裕を作ったりすることができる。まずは目下の目標である論文の執筆に関して、締め切りを細かく設定し、それを徹底的に遵守することで期限に追われる生活の一端を垣間見ようと思う。
(3)社会人になるにあたって最も懸念していること、それは自分が丸くなってしまうことだ。僕はいつまでも他人と交換しえない、ひねくれた思想を持ち、他人とは別の向きから物事を見る人間でありたい。だけど、とがった考え方というのは、往々にして敵をつくり、叩かれ、丸くされてしまう。でも、丸くなってしまったらそれは他人と交換可能な、組織の部品でしかなくなってしまうのではないか?僕はそれは嫌だし、そうなってしまったらその組織を辞めるべきときだと思う。今いる環境からすれば、社会と言うのは想像を絶して理不尽で憂鬱でろくでもなくて、糞にまみれた場所だ。そんな場所でできるだけ丸くならずに生きるためにはどうしたらいいのか?おそらく、するべきことは「自分について知ること」だ。なぜなら、自分についてしっかり知っていれば、糞にまみれても自分の元の形を見失わずに済むからだ。だから卒業までに、自分の個性を十分に把握し、いかなる環境にあってもそれを全力で発揮して、周りを巻き込みながら物事を前進させる方法を習得したい。学校では既にキャラが確立してしまっているから、色んな人間関係の場でこれを習得したい。例えば今は社会人との集まりとかに出席すると緊張してしまって礼儀正しい大学生を演じてしまっているのだけれど、これではだめだ。卒業するまでに、初対面の人たちに「こいつ頭おかしーぞ」と思われるくらい大胆になりたい。