「時間ベース」対「達成ベース」


雨粒@目黒の植物園


 大人になったら、1日24時間で十分だという人はほとんどいないと思う。学生時代と比べると、圧倒的に時間がない。やりたいこと・やるべきことの量に対して、使える時間が圧倒的に少ない結果、常に何かができてないことに対するストレスに晒されている。これは、学生時代には無かった経験だ。僕は多趣味だけど、趣味って少ないほうが「やりたいけどできないこと」が減って得なんじゃね?って思ったり。車・自転車・カメラはボチボチやっているものの、魚は餌やってるだけ、料理はほとんどしなくなったし、釣りなんて半年くらい行ってないぞ(このブログも書きたいことがあってもなかなか書く時間が無い)。休日は会社のサークルや読書(そして仕事)などの他のアクティビティもやらなければならない中で、週にたったの二日の土日を一体どう使えば足りるんだ。ふざけるな。

 そういうわけで、最近強く思うのが、「時間をどう使うか」という意思決定をいかに最適化するか、ということだ。(こういう背景があるだけでなく最近仕事でマーケティングをやっていることもあって、今は「意思決定論」に興味を持って勉強している。最近読んだ本では以下の本がおすすめ。)

すべては「先送り」でうまくいく

すべては「先送り」でうまくいく

消費者行動の知識 (日経文庫)

消費者行動の知識 (日経文庫)

 で、まぁ上記の本にも書かれていることなんだけど、時間の使い方に対する考え方って大きく分けて「時間ベース」と「達成ベース」の二種類がある。

  • 「時間ベース」ってのは、時間を時計の時間で区切ってその中で何をするか考えていくやりかた。「1時間で○○する」とか「2日で○○する」みたいな。
  • 「達成ベース」は、時間で切らずに、設定した達成点に到達するまでの時間を基準に何をするかを決めていくやりかた。「○○するのに3時間必要」とか「○○をやるのに2日必要」みたいな。

 今、会社でやってる仕事は、基本「時間ベース」で動いている。仕事は普通は締め切りがあるし、多数のタスクが同時に進行している。だから、1日に3つ仕上げなければならないことがあったとしたら、おのずと、○○に2時間、□□に5時間、△△に3時間、みたいに、時間を区切って対処せざるを得ない。そうすると、「達成ベース」で考えると5時間かかる仕事を、3時間で終わらせなきゃならんようなことが起こる。つまり、「完璧でないけど時間内に仕上げる」みたいなことをしなきゃならんくなる。忙しくなって、同時進行の仕事が増えれば増えるほど、締め切りが増えれば増えるほど、一つのタスクに割ける時間は少なくなっていき、たくさんのものを適度な完成度(決して完璧ではない)で量産して、対応していなければ間に合わなくなっていく。当然、一つのタスクあたりの結果は落ちる。
 これは、仕事の構造の問題で、受け入れるほか無い問題だ。たくさんの仕事があるなかで、それをすべて「達成ベース」で納得いくまでやったとすると、それこそ自分のプライベートを潰して、奉公するしかない。そもそもコンサルの場合だと「○○さんを△△時間働かせたら○円発生します」みたいな、時間単価を元にした価格設定をしているので、その契約を超えて働く義務は無いし働いたって賃金は発生しない。同じ仕事内容でも、300万円払ってくれる案件と、600万円払ってくれる案件では時間ベースで割く時間がぜんぜん違うのは正しい話だ。
 納得いくまで仕事ができるなんてことなんてめったに無くて、基本的に仕事は、区切られた時間の中で精一杯の成果を出すために努力し続けるという(つらい)作業だ。納得いくまでやりたいのであれば研究者になるしかない。
 だけどここでむしろ僕が問題にしたいのは、「仕事だけでなく、プライベートまでもが時間ベースになってきている」という点。趣味や自己研鑽は、「達成ベース」で進めなければ意味が無い。趣味はだらだら納得いくまでやることに意味があるのであって決して時間当たりの効率を求めるべきものではないし、自己研鑽の勉強は理解するまでやることに意味があるのであって決して中途半端にして先を急ぐものではない。でも、最初に挙げたように、休日も常に満ち足りてなくてやりたいことがたくさんある中で、なんとかその中でやりたいことをしていくためには、どうしても限られた土日の時間を切っていかなきゃならなくなってしまう。そんなこんなで、休日もあくせく「いろいろやらなきゃ」ってなってるし、勉強や読書も効率を求めてしまって、理解を深める間もないまま先に進んでしまっている。それでも、時間がぜんぜん足りなくて、あれもこれもしたいという欲求は満たされなくて、「もっと時間を細かく切ったほうがよいのか」ということを考えたりする。大きな買い物をするための判断や、自分の進路についての判断ですら、納得いくまで考える時間が無くて、時間内で効率よく意思決定することに意識がいってしまう。
 そうやって、すべてを「時間内」にこなし、納得いくまで何かをしたり考えたりすることをせずに、ひたすら自分の時間を切り刻むのに必死でいるあいだに、いつのまにかジジイになっているのではないか。そういう姿が容易に想像できる。もうすこし、「やりたいこと」を減らすべきではないか。もう少し、理想を下げて、もっと何かを納得いくまでやりこんだり、徹底的に考えたりしていくべなのではないか。時間も処理能力も一定な中で、多くをこなそうとすると必ず密度が薄まる。密度を上げるためには、触れるものを減らしていかなければならない。
 やっぱ、趣味は少ないほうが得なのかもしれない。